「あいつはワークマンへ弟子入りと引き換えに体を売ったんだ」
室内から聞こえた言葉に、セルゲイはドアに伸ばした手を止める。
「それってセルゲイってお人の話です?」
片方は知った声だ。ロイヤルカジノの主にして略奪組のひとつのリーダーに座す、トラウマヨムという獣人。もう片方は知らぬ女の声。
「でもお強いんでしょう」
「ふん、尻に注がれた力なんざ悍ましいだけだ」
なるほど自分と師匠の下衆な噂話だったか。納得出来たのでノックをした。
「誰だ!」少し慌てたようなダミ声を聞きながらドアを開け、すぐさま部屋の主に手のひらを差し出す。書類を受け取りに来ただけなのだからさっさと寄越せ、と言わんばかりに。
「……お、お前か。相変わらず移動が早いな……ほら、これだろう」
ヨムは動揺しつつも、室内にいたもう一人である兎の女獣人を介して書類袋を渡してきた。部屋にほかに人がいないことから、ヨムと話していたのはこの女のようだ。
まあ、何を言われようが告げ口する気もないし興味もない。好きに思っていればいい。
チラと中身を覗いて書類の間違いがないことを確認し、頷きを一つだけしてすぐに部屋から出る。
「ねえヨム様、今の聞かれてたんじゃないですか?」
「き、聞かれたからってなんだ、イロンゼ!本当のことを喋っていただけだろう!」
背後から聞こえる慌てたような会話を尻目に次元門を潜った。
……それにしても、尻に注がれた力とはまた、言い得て妙なものだ。
「(そんなにも悪いことだろうか?)」
ひとつ真実を言うとすれば、師匠たるワークマンがセルゲイに手を出したのは咥内に移植したアビスが定着してからのことだったので、厳密に言うと体を売って弟子入りしたというのは間違いだ。
だがまあ、肉体関係があるのは確かなので全て間違っているわけでもない。
戯れだったのか、なにか目的があったのかは自分には分からないが、師匠の行動はいつだって間違いがない。師匠の行動そのままに従ったから、あの頃と比べてすばらしい今がある。
だからアビス移植の際の舌の根までを抜かれるような痛みにだって耐えたし、体を暴かれたときの引き裂かれるような痛みにだって耐えた。
慣れてしまえばなんてこともないことだし、悪い気持ちもない。師匠に沿うことこそが真実への道なのだから。
次元門を潜り元の次元へと戻ると、目測通り執務室の前に出た。
ノックをすれば「入りなさい」という師匠の声が帰ってくる。
「ご苦労だった。それをそこに」
ヨムから受け取った書類を言われた通りの場所に置けば、仕事はこれで終わりだ。
「……セルゲイ」
名を呼ばれたので振り向くと、師匠は目立つ巨体に反して気配なく背後に立っていた。
……相変わらず、かなわないな。気付けなかった。
見上げるほどの巨体が少し屈んできたので、自分も少しだけ背伸びをする。顔の半分を覆うマスクのジッパーに師匠の唇が、歯が触れた。
かち、ぢぢ、ぢ。ほのりとアビスの光の漏れる唇が外気に触れる。
「(……今から行われるのも)」
──真実への道なのだろう。師匠の行いに間違いはないのだから。
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