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2021/12/27

これ
の続き。









朝。
ありふれた鬼剣士が目覚めたのは日が上ってしばらくのころ。昨夜は嬉しくて楽しくて興奮して良く寝付けなかったが、目覚めは妙にしゃっきりしていた。
ぱぱっと顔を洗い、元気な固い髪の毛はいつものように後ろに流してヘッドギアで押さえつける。

そうそうありつけるものではないふかふかのベッドとこんなにも早くお別れしてしまうのは、勿体ないし名残惜しくも思った。でも、頭も体も活動したいと言っているので、もう動き始めることにする。
カーテンを開き朝日に目を細めながら窓を開けると、早朝にも関わらず賑やかな喧騒が部屋に飛び込んできた。夜のうちには分からなかったが、市場も近いのか呼び込みのようなものも聞こえてくる。

朝ごはんはそこで探ってみようかな。ダークナイトはもう起きてるだろうか?誘って一緒にいってみて、また話を聞かせてもらおう。
依頼も一緒に見てくれるかもしれない。どれが良いかとかも見てもらって、戦い方も見てもらったり見せてもらったりして……。
きっと優しい彼なら邪険にはしないだろう、なんて勝手に考えて。

ひよっこのありふれた鬼剣士は、かなり図太い質だった。
昨夜に「すわ寄生してくる初心者か」と複数の冒険者に警戒されたにも関わらず、寝て起きたらすっかりそれを忘れている愚かさもあった。

うきうきと部屋を出ると、エントランスには数人の冒険者がいた。
昨日にも見た眼帯の冒険者。それから、昨日にはいなかったガタイのいい白い法衣の冒険者と、目付きの悪い美貌の少年冒険者。

「おー、ルーキー。早いやん」
「おはよ、……ございます」

眼帯の冒険者が気さくに話し掛けてきて、取って付けたような敬語で挨拶を返す。彼は昨日の時点でも気さくだったが、多分、怖い人だ。

「誰そいつ」
「新入りですか?」
「昨日の夜にどっかの誰かさんが引っかけてきたんや」
「ああ……」
「またかよ」

ダークナイトの事を話しているらしい。昨日も話していたのを聞いていたが、やっぱりわざわざ人に声をかけるようなダークナイトみたいな冒険者は少数派なのだろう。
白い法衣の冒険者は呆れたような顔をしていたし、少年冒険者は顔を嫌悪に歪めてうんざりしたようすだった。
あいついつもそうだよな、とか、優しいのは良いことですけどね、とか、褒めているのか貶しているのか分からないことを口々に上げている。

「あの、ところで聞きたいことがある、です」
「うん?」

ダークナイトの話でベテラン冒険者が盛り上がるなかに恐る恐る話しかけると、眼帯の冒険者が言ってみろという風に顎をしゃくる。
ダークナイトの部屋を知りたかったのだ。昨日さっさと行ってしまって追うこともできなかったから訪問もできない。二階だというのは分かっているのだけど。
教えて貰えないかもな、と思いつつ聞いた。教えてもらえなかったら二階の部屋を順番にノックしてみよう、なんて豪胆なことまで考えていた。
ところが、質問したとたん眼帯の冒険者は面白そうなものを見つけた、という風に笑みに顔を歪め、あっさりと答えてくれた。

「あいつなら二階の一番奥の部屋やで。まだ寝とると思うけど」
「二階の一番奥……!ありがとう!ございます!」
「あでも、干渉するなって書いてあったら流石に止めときや」
「分かった!」

「干渉するな」というのは、自分が泊まった部屋にも用意してあった札だろう。ドアノブにかけておくことで部屋に用があっても放っておくように、というやつだ。
なんにせよ、無事部屋を教えてもらえたのが嬉しくて表情を明るくすると、眼帯の冒険者は我慢できなかったみたいに吹き出した。それがなんだか不信だったが、こうしてはいられない。
ぺこりと雑に頭を下げて、騒がしくしない程度に慌てて階段を駆け上る。一番奥の部屋!

「教えてよかったんですか?彼が一緒でしょう」
「殺されるんじゃねえの」
「数年前なら分からんかったけど、いまのあいつは冒険者殺すほど尖ってへんし大丈夫やろ」
「悪いですねえ」

「なつくのは悪かないしうちで新人を育成すんのも悪かないけど、あいつだけは許さへんやろなあ。ルーキーもこれで諦めるんちゃう?」
「ハン。結果だけあとで教えろ、俺は寝る」
「なんやあ。俺も寝たいねん誰か見といてやあ」
「じゃあ私が起きて見ておきますよ。怪我してたらちゃんと治療して差し上げないと」
「優しいふりしてそーやって止めへんとこやで~」
「ふふふ」

冒険者たちは盛り上がっていたが、ひよっこの耳には入ってこなかった。
気がはやりすぎる彼の頭は、このあとダークナイトと一緒に市場で飯を食べて依頼を受けて戦い方を見せてもらって指導してもらって、などと、あまりにも高望みしすぎる想像でいっぱいだった。

一番奥の部屋なんてのはあまりにも分かりやすいためすぐ見つかった。廊下の突き当たりの窓から差し込む朝日を見て、ふー、と息を吐く。扉の前に立ち、もう一度深呼吸。
なんの変哲もない普通の扉だ。他の部屋と同じく厳重な鍵はついているものの、件の「干渉するな」と書かれた札などは特にかかっていない。

ドキドキしながらノックをした。返事はない。やっぱり、まだ寝ているのだろう。
もう一度ノックをして名前を呼び掛けてみる。返事はない。恐る恐るドアノブに触れてみると、なんと鍵が掛かっていなかった。

「開いてる……」

ゆっくり、ゆっくり、押していく。蝶番がキイ、と音をたてて扉が開いていく。
足を踏み入れそうっと部屋を覗いてみると、遮光カーテンがきっちりと閉じているのか部屋の中は朝にも関わらず暗かった。しんとしていて、物音は聞こえてこない。

「いないのか……?」

身体のほとんどを部屋に侵入させて中を覗き込み、はた、と誰かいるのに気付いた。
窓際の……ベッド、だろう。暗くて良く見えないが、上半身を起こした男の人影がぼうっと静かに座っている。ダークナイトだろうか?喜色ばんで声をかけようとして、出来なかった。

チカリ、となにかが黄色く光った気がした。
その次の瞬間、ぞる、とその人影から黒いものが溢れて、部屋中の壁を這い真黒く染めながら、ほんの一瞬でこちらへと雪崩れてきたのである。遮光カーテンなんか目じゃないくらいに光を多い尽くして、家具も人影も床も壁もなにも見えなくなっていく。
反射的に足を突っ張って廊下へと飛び出し、そのまま転倒する。

「誰お前」

よろよろと立ち上がってもう一度部屋のほうを見ると、低く不機嫌そうな知らない男の声が聞こえてきた。明かりの消えた夜よりも暗く黒くなった部屋の奥から、ぎし、ぎし、と床板の軋む音が近付いてくる。
暗闇の中ぽつんと浮かぶ太陽のように明るい二つの黄色い丸がその人影の瞳だと気付き、ますます自分から血の気が失せていった。
足が動かない。がくがくと震えながらもよじることすら出来なくて、近付いてくる太陽から目を反らせないまま立ち竦む。

「ヒッ、あっ、あ」

闇が、目の前に立つ。廊下に差し込む光の反射でようやく顕になったのは、自分よりも頭1つほど背が高い男だった。
暗闇に馴染む短い黒髪。整った顔を異質に見せる黒い白目と明るく黄色い瞳という目の色彩は、かのダークナイトに良く似ていた。
顕になっている引き締まった上半身には、なにやら白い肌をほぼ覆うほど黒い雷のような入れ墨が蠢いており、時折ぱちぱちと迸る。部屋を覆う泥のような闇と絡んでは、激しく弾けて散っていく。

「……ああ、もしかしてお前がルーキーか?」

にい、と男の口角が上がり笑みに歪む。しかし、次の瞬間には笑みは消え失せてしまう。

「宿にまで付いてきてたのか。闇の一片も知らなそうなぺーぺーのガキが……」

声も視線も気配も、男の何もかもが敵意に満ちていた。
闇と同化しているようにそこにいる男があまりにも恐ろしくて、身体は硬直してしまった。
高いところから見下す瞳が、すう、と細くなり、気だるげに垂れていただけの腕がぬらりとこちらに伸びてくる。
肌を裂くように、あるいは内側からひび割れて漏れ出すように腕からも闇が迸っていた。引きつるように痙攣し伸びてくる手が、眼前に迫る。

「……おい、部屋を浸食で満たすなと何度も言っただろう」

男の黒い爪が自分の瞼に触れる寸前、真暗い部屋の奥から煩わしげな低い声が聞こえてきて、ひたりと動きが止まった。
ひゅう、ひゅうと苦しげな息が漏れる。いまにも触れそうなほど目の前にある黒い爪の向こう、男の黄色い瞳はぐらぐら揺れながらもなおこちらを睨み付けたままだ。
いや、赤い……影が。男か、女か、異形かが、こちらを見つめている。鳥肌のたつような得体の知れない気配が背筋を舐め上げる。

「なにも見えん……なんだ、来客か?ったく……やっぱり鍵は閉めるべきだった」

がた、と物音。ゆっくりと探るような足取りで扉へと向かってくる足音。男も自分も動かないままの膠着状態の中、奥から現れたのは気だるげな軽装のダークナイトだった。

「……?ああ、君か……」

いかにも目覚めたばかりという様子を隠すこともなく、くしゃり、と長い前髪をかき上げる。膠着状態の二人を見ると面食らったようで、すぐに忌々しそうに顔を歪めた。

「何をやってるんだお前は」

見つめ合ったままだった男の黄色い瞳がダークナイトの黒い手で覆われる。途端、こちらを見つめていた正体不明の影もかき消えた。
いつの間にか止めていたらしい息が、ひゅう、と喉を通り抜けていく。独りでにかくんと膝が曲がり、情けなくも尻餅をついた。
そのまま動けず、咳き込みながら呆然とダークナイトと黒い男を見上げる。どっと汗が吹き出して、床が濡れるほどに滴っていく。

「だって」
「だってじゃない」

煩わし気な低いバリトンボイスが男を咎める。
敵意と威圧に満ちていた黒い男は、ダークナイトに触れられたとたん急に勢いをなくしてしまったようだった。

「君、俺の相方が悪かったな。少し……目覚めが悪かったようだ」
「あ、あ」

ぐい、と黒い男を部屋の奥へと押しやったダークナイトがしゃがみこんで顔色を伺ってくる。
何か言おうとして、口から漏れるのは意味のない呻きだけだ。足腰は相変わらず力が抜けたままで、動くこともままならない。

「……魅入られたな?」

様子を見るように下瞼が軽く捲られる。黒い男と同じような色彩であるダークナイトの瞳を見つめて、はっ、はっ、と短い息を繰り返す。
ダークナイトの後ろ。黒い男がぬぼっと無感情に立ってこちらを見下ろしていることに気付き、また息が止まる。先程ほどの敵意はなかったものの不機嫌そうなのは変わらず、なによりもその存在が恐ろしくて見るだけで震え上がってしまう。
それなのに目が反らせない
。目を反らしてしまえば気が付くまでに襲われてしまうかもしれない、という考えもある。が、それとも違う気がする。
分からない。ダークナイトは「魅入られた」と言っていたが、混乱している今その言葉が理解が出来ない。

「はあ……」

ダークナイトが面倒くさそうに溜め息を吐いた。
黒い手に腕を引かれ、ぐんと立たされる。言うことを聞かない足腰はまだ不安定で、ダークナイトはふらついた自分を立て掛けるように壁にもたれさせた。

「昨日今日と頼ってくれるのは、先輩冒険者として嬉しい。だが、今日は駄目だ」

彼なら救ってくれるかもしれない、という希望は、残念ながらそこで打ち砕かれてしまう。
ダークナイトは煩わしげで険しい表情をして、そのくせ優しい手つきで背中をさする。
涙がこぼれそうなのを堪えたのは、なけなしのちっぽけなプライドだった。ぐ、と一息を飲んで、口を開く。

「す……み、ません。また、後日に……する」

嗚咽に引きつる喉を震わせて、突っかかりながらも言葉を発すると、ダークナイトの眉間のシワがほんの少しだけ和らいだ。

「いや。……悪いな」
「後日なんかねえよ二度と来るな」
「おいやめろ、ルーキーを威嚇するな」
「だってこんな図々しいやつ」
「いいから奥に行け。あと侵食も仕舞え」
「勝手に部屋に入ってきた!」
「……分かった、分かった。お前がいると話が進まん、ここは私に預けろ」

途切れることなく話す様子を見て、仲が良いんだな、と漠然と思った。昨日冒険者たちと話しているところを見たときも思ったが、自分相手にはない気軽さがある。
そこでようやく、自分がダークナイトに親切にされていたのは……本当に、ただ、親切にされていたというだけだったのだな、と気付いた。
受け入れられてはいなかった。
それこそ、黒い男が言ったように「宿にまで付いてきたのか」程度の仲だったのだ。

「……こいつに感謝しろよ」

黒い男がダークナイトに背後から抱き付き、ぎろりとこちらを睨み付けた。同時に、パチと音を立てて闇が迸る。
ぶり返す先程の恐怖にぶるりと身体を震わせ怯えた目で見上げると、黒い男はそんな俺を馬鹿にしたような笑みを浮かべ鼻をならした。
そうしてまた一睨みと少しの黒い雷を残し、ようやく真っ暗で光の通らない黒い部屋の奥へと去っていった。

いつの間にか無意識のうちに後ずさりをしていたようだ。部屋の扉とは逆側の壁にびたりと張り付いて、恐怖に硬直する身体を支え、どうにかして立っている。
ダークナイトはそんな冷や汗でびっしょりの俺を見て困ったように眉を寄せ、部屋のドアノブに手を伸ばした。閉めてしまおうとしている。
咄嗟に彼を引き留めようとしたが、鋭い眼光に気付いて喉がつっかえる。

「……鍵を閉めていなかったのは私のミスだが、勝手に入ってくるのは褒められた行動じゃない。今後は気を付けることだ」

ゆらりとダークナイトの黒い鬼手が煙のように揺らぎ、黄色い瞳がきらめいた。怒っている。
黒い男の瞳も得体が知れなかったが、この日、この時の彼の瞳もまた、得体の知れないなにかを秘めていた。

「それから……」

ぢり、と火の粉が爆ぜたような音。

「さっき見たものは忘れろ。あれは私のものだ」

ドアノブを掴んだまま、黒い部屋へと一歩。這うように食らうように飲み込むように暗い闇の中へ、ダークナイトが去っていく。闇へと消えていく。
最後まで黄色い瞳が俺を見ていた。ダークナイトも、黒い部屋の奥からも。

「じゃあな」

ばたん。







呆然と、汗でびしょびしょに濡れてしまった身体を引きずるようにしながら階段を降りた。
その先のエントランス、いつの間にかメンバーが変わっていた冒険者たちに話を聞かれ、つっかえながらも説明したあとの話だ。

「黒い部屋?ああ、あれな」
「それはそれは、怪我なく生きて帰れて良かったですね。最悪の場合食われて死んでましたよ」

さらりとなんでもない話をするように言う白い法衣の冒険者の言葉に、思わず絶句してしまう。

「食われて……死んでたって」
「彼ら、性質は違うけど二人とも闇を扱うんです。そして、黒いほうの彼の闇は侵食の性質を持っている。闇の扱いに長けてないと耐えれません」

そうそう、と法衣の冒険者の隣に座っている鉢巻の男も頷いている。

「君が言った黒い部屋っていうのは、その侵食の闇で部屋が満たされた状態なんです。少しでも触れればあっという間だったんですよ」
「……!」
「素質や耐性があっても直は怖いですよ。触らなくて助かりましたねえ」

本当にそう思っているのか分からないくらいに軽いテンションだった。
どうしてそんな恐ろしいことをこんな軽く話せるのだろう、というのは、きっと彼らが強い冒険者だからだ。
そして、そんな強い冒険者である彼らをも食ってしまうと言う闇。平気でそれを人間に向けてくる黒い男。その闇に包まれても平気なダークナイト。

黒い男はこちらに向けて手を伸ばしていた。瞼に、触れて、それからどうするつもりだったのだろう。
あの時自分はあの男の太陽のような明るい瞳に魅入られて、動けなくなっていた。
ダークナイトの横槍がなければ、あの時、自分はあの黒い男に……。

「こいつに感謝しろよ」という黒い男の言葉をひしひしと実感して、また血の気が失せていった。
そうしてだらだらと冷や汗を流れさせる俺を見て、法衣の冒険者が「おやおや」と水の入ったグラスを差し出し、鉢巻の冒険者はタオルを貸してくれた。

「なんにせよ、彼らはお互いをよく気に入ってますからね。間に入ろうとした人間は前にもいましたけど、いつの間にかいなくなってました」
「俺は……助かった。……助けられた」
「運が良かったですよ、本当に」

ぽろり。ついに堪えていた涙がこぼれてしまった。
軽い気持ちで尊敬しているからってまとわりついて、宿にまでついていって部屋にまで侵入していって。どれだけ穏やかな人でも怒る所業だ。
ぐず、と鼻をならしてタオルに顔を埋める。慰めるような手が背中を軽く叩いた。

「大丈夫か?まー、恋人と一緒に住んでるとこに急に来られたら誰でも怒るやんなあ」
「そうですねえ」

冒険者二人の会話に顔を上げる。

「……え?」
「え?」
「え?」

「……知らなかったんですか?のろけとか、されませんでした?」

そこではたと思い出したのは、月光酒場にて柔らかい表情でシュシアに相方の話を聞かせているダークナイトの横顔だった。
あの時の彼は……そういえば、ひときわ優しい顔をしていた気がする。相方の話を困ったように、そのくせ嬉しそうに顔をほころばせて話していたっけ。
それに、宿への道筋でも相方の話をしていた気がする。

「……思い当たる節があったようですね。なんというか……彼、相方くんを溺愛してるんですよ」
「溺愛……」
「自分ではそこまでじゃないって思ってるみたいなんですけど、それはもう分かりやすくて」

法衣の冒険者が呆れたような顔でへらりと笑って、鉢巻の冒険者も微妙な顔をしていた。
その様子を見るに彼ら冒険者の中で、あの二人の仲は有名らしいということが分かる。

自分がなにも知らなかっただけだったのだ。いや、知ろうとしてなかったのかもしれない。
ダークナイトに仲の良いらしい相方がいることも、二人で一つの部屋に住んでいるということも、ダークナイト本人から聞いて知っていたのに。
それを気にせず、忘れていたのは自分自身のミスだった。殺されそうになったってしょうがなかったのかもしれない。

「俺……俺、本当にバカだった」
「気付けたなら良かったんじゃないですか?」
「俺もそう思うで」

優しく慰めるように声を掛けられ背中をさすられる。
風呂も貸してやろうかとか、朝飯一緒に食べるかとか、鉢巻の冒険者がとにかく優しい。
法衣の冒険者はそんな俺たちを愉快そうに眺めて、にこりと微笑んでいた。







扉を閉めたあと、今度こそきちんと鍵を閉めた。
おぼつかない足音が離れていくのを聞きながら、扉に額を付けて深くため息を吐く。ぶれる鬼手をなだめる様に撫で、形を保つように意識を向ける。

振り返るとダークランサーが浸食をしまい込んでいるところだった。
部屋中を覆っていた浸食の闇がダークランサーの身体へと収納されていくのを見て、よくもまあこんなにも大量に内に封じておけるなとしみじみ思う。
闇の浸食で真っ黒だった部屋がカーテンの隙間から朝日が射し込む薄暗い部屋へと戻っていく。
歩み寄り気遣うように手を握ってやると、不機嫌そうにパシリと払われてしまった。

「お前さあ、いい加減気楽に親切振り撒いて人間引っ掻けてくるのやめない?」

ぐに、と頬を摘ままれた。たいして柔らかくもない肌は少し形を変えただけで、ダークランサーはつまらなさそうな顔をしてすぐに指を離した。

「俺が悋気で死んだらどうしてくれんの」
「それは……困るな」
「俺が一番困ってんだよ。追い払っても始末してもすーぐ引っ掻けてくる。今回なんか部屋にまで押し掛けてきたし……」

心底気に入らないという様子で憤るダークランサーの腰を引き寄せる。
自分よりも背の高い彼の耳元に触れるほど唇を寄せて「悪かった」と低く囁くと、うぐ、と一瞬身体を硬直させて、呆れたように溜め息を吐いた。

「お前……ずるいぞ……それ……」
「こういうのに弱いのを覚えたんだ」
「弱いよ……」

いつもなら鬱陶しいくらいに張り付いてくるのに、こちらから近寄ると急に照れて離れようとする。
ここまできて今さら離すわけなどないのに。

「お前こそ軽率に他人を魅了するな」
「はあ?向こうが勝手に魅入られるんだろ?どいつもこいつも使徒の気運に……」
「妬いたんだ、私もな」
「は」

いまだに形のぶれる鬼手で頬を撫で目を覗き込む。似たような色合いの違う瞳。時折不安定に揺れる太陽。奥の奥に在る使徒の気配。
魅了するな、とは言ったものの。
ダークランサーという男の妖しい瞳は、彼の内にある使徒の気運により誰をも魅了する。
ぱちりと目を合わせただけで人を惹き付けてしまうのだ。それはある種の精神支配であるらしい。
それで、まあ、なんというか。昔のダークナイト自身も魅入られてしまった人間の一人なのだ

ようは、ダークランサーとちょっと目を合わせていただけのあの新人に妬いてしまったわけだ。それが攻撃的な意図があったと分かっていようと、ただ目をしかと合わせていたという事実だけに。
……私もまだまだ堪え性がないらしい。重いな。自嘲する。

「……朝から元気だなあ」

ダークランサーが淡く頬を染めて、困っているくせに煽るような言葉を放った。落ち着きなく瞳が揺れている。
何と言い返そうかと考えたが、面倒になったので唇で塞いでやった。
驚きに目を見開いて押し返そうとしていたが、腕力差ゆえにビクともしなかったからかすぐに諦めて力を抜いた。
大人しくなって扱いやすくなった彼をひょいと抱き上げてベッドへと運び、ぽんと寝かせて自分も乗り上げる。

「お前を妬かせるのも、私が妬く羽目になるのも困る。下手に声をかけるのはやめることにする。それか……お前にヒトを近付けないのが一番早いかもしれないな」
「なにそれ、束縛?俺に溺れちゃったんだ」
「まあ、そうかもな」

「なに、そんなに俺を喜ばせることばっかり言って。……抱きたいならそう言えよ」

ダークランサーはそう言ってわざとらしく枕に頭を預け、ちろりと目を細めて誘うような視線を向けてきた。
ふむ、一息考えて、寝そべる彼の首筋から鎖骨の浸食をゆるりと撫でる。くつくつと喉を鳴らして笑うダークランサーを見て朝っぱらから耽るのもまあ悪くはないと思ったが……。

「いや、二度寝する」

さらりと告げてダークランサーの横に転がると、ばふりとベッドが重みに弾んだ。
ダークランサーは「なぁんだ」なんて呟きつつそれほど残念そうでもないから、誘っていたのは本気ではなかったらしい。

「朝飯はどうすんの」
「腹が減ったのか?」
「や……別に、そうじゃないけど」
「ならいいだろう」

クッションを抱えるみたいにダークランサーを抱き寄せると、くふくふ笑ってすり寄ってきた。カーテンの隙間から朝日が差し込む薄暗い部屋の中、彼の白い肌と黄色い瞳が浮かんで見える。

「アンタにも嫉妬なんて感情があったんだ」
「そりゃあ、あるさ」
「んふふ。感情を引き出しちゃったか」
「要らん感情だこんなもの」
「そう?俺は嬉しいけどなあ」

ちゅ、ちゅ、とダークランサーが顎や首筋に音を立てて口付けをする。脚はぴたりと張り付いてきたし、腕はぐるりと腰へ回ってきた。

「嫉妬なんて俺ばっかりだと思ってたけど」
「お前が人を魅了するたび妬いてるが」
「冗談ばっかり言ってさ」

きゃらきゃらとまるで子供のような声をあげて笑われてしまった。
まあ、信じてはもらえないだろうな、とは思っていた。ダークランサーはダークナイトへ愛を囁くくせに、愛を返されてもそれを信じないことがままあった。

愛されると思っていないのだろう。
目を合わせるだけで勝手に惹かれてくるのだから、どうせ精神支配による偽りの情なのだろうと判断してしまう。
確かにきっかけはそうだったかもしれないが、長く付き合ううちに魅了によるものではない情が育った。それを伝えて、伝えても、それでも未だ彼は理解しない。
……いつか。

「いつか解れば良い」

ダークナイトが、どれだけダークランサーに執着するようになってしまったか。
どれだけの次元を、時間を越えて、数多の可能性の中のただ一人である今の彼を、なぜこんなにも囲うようになったのか。
その感情を。

「……なんの話?」
「なんでもない。寝るぞ」

ぐしゃぐしゃと前髪をかき混ぜてやったら、「フギャン」とつぶれた猫のような鳴き声をあげた。
じっとりと睨み付けられたが、フンと鼻を鳴らして口角を上げてやる。そうすれば、彼もイヒヒと歯を見せて笑った。
こういう他愛もない戯れが好きだ。これも彼は知らないのだろうけど。

「ね、あれやってよ。闇で布作るやつ!あれ好きなんだよ」
「はあ?」

ダークランサーがずいと身を乗り出して顔を近づけてきたので、思わず反射的に仰け反ってしまった。……こういう態度で勘違いされてしまうのかもと思いつつ、直せないのだな。
彼の言う闇で布作るやつ、なるものは……おそらく、ダークナイトの腕に染み付いた闇を操って作り上げたもののことだろう。普段は攻撃に使い、マントのようにして身体に纏わせていたりもする。
前にダークランサーをそれで包んだことがあったが、その時に気に入ったのだろうか。

「……まあ、いいが。よく分からんことを言う」
「明るいと寝れないんだよ。闇の中だと落ち着くから」

なるほど。長らく闇に浸かってきた彼が言いそうなことだ。
遮光カーテンにしても、朝日が強いのか部屋は真っ暗と言えない暗さだ。明るいとまでは思わないが、深淵に住むダークランサーからすれば明るいのだろう。

「……これでいいか?」

ベールのように薄らと透けて見えるような、そのくせ真っ暗になる闇の膜でベッド全体を天蓋のように覆う。ベッドの上だけが真っ暗になる。
闇に慣れた目でも見えるのはすぐ近くにあるダークランサーの顔くらいだ。
ダークランサーはわくわくした様子でベールのごとき闇に触れ、目をきらきらさせていた。

「すご。ちょっとロマンチックじゃん」
「気に入ったか」
「ウン、好き」
「ならいい」
「へはは」

煌めくダークランサーの瞳がハチミツのように溶ける。
思わずといった風に勢いのまま唇を押し付けると、一度だけのつもりだったのに何度も帰って来た。
はふ、とどちらのものかもわからない吐息が漏れる。
ダークランサーの手がダークナイトの淡い金髪をかき混ぜ、長い脚が絡み付いてくる。
やがて侵入してきた柔らかく熱い舌は、咥内で散々遊んだあと濡れた音を立てて離れていった。

「……寝る気があるのか?」
「あるよお。二度寝するんだろ?」
「……」

眉を寄せながらぐい、と強めに腰を押し付けると、ぱちくりと瞬きをした。
蠱惑的な笑みが浮かぶ。濡れた唇を、黒い舌がいたずらにちろりと舐めて離れていく。

「ふふ。ばぁか。……おやすみ、ハニー」

それだけ言うと静かになって、とろりとダークランサーの瞼が閉じてしまった。太陽の瞳が隠れてしまえば闇の中は暗いばかりだ。

……。まあ、いいが。腑に落ちない。
寝ると言ったのは自分だったのに、なんだか、やられてしまったな、という気持ちが残った。

はあ、とため息を吐く。腕の中ですっかり眠りについてしまったダークランサーを眺め、その前髪をさらりと退ける。
あんなにも明るい太陽は、瞼を閉じてしまっただけでこんなにも静かになるものか。
ついさっきまで見ていたものなのに、随分と恋しい。まあ、目が覚めたらまたいくらでも見られるだろう。黒い部屋の中、二つだけの明るい太陽を。

ダークナイトは揺らめく闇を一瞥し、ダークランサーをもう一度しかと抱き寄せてから目を閉じた。
黒い部屋、揺蕩う闇の天蓋の内側は、そうして二人の寝息だけになった。




おわり。

拍手

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